not debatable

大学のサークルでディベートやってるせいで色々と不便なことも発生するもんですね、はい。ディベートと日常会話は切り離して考えたい、1年生の頃はそう思ってたけれども、やはり思考の癖になると普段の会話にまで浸食してくるんだな、と思いました。

 

 

 

「では、学習観において重要度の高いものをグループで話し合って3つ選んでくださーい、多数決ではなくコンセンサスをとってくださーい

 

A.問題を数多く解いてみること

B.暗記すること

C.原理や理論を納得いくまで理解すること

D.絵や図を書いて考えること

E.はっきりした目標を決めること

F.人に聞く・質問する

G.他の人に教えること

H.勘・センス

I.知識を整理し、まとめること

J.繰り返し練習すること

 

 

はい?

こんなのコンセンサスとれるわけなくね?

学習観って何ですか?そもそも学習の定義とは?そして重要度とは、どのような背景における誰にとっての重要度のことを言っているの?ちなみに科目は?

「どれも大事ですね~」みたいな緩い結論を出すのならばこれでもいいけど、コンセンサスをとった上で3つだなんていう高度なディスカッションをするのには、前提条件が少なすぎる。こんな小学生に出すような課題を平気で大学生にやらせるとは一体今までどんな人生を送ってきたのか。

そして、それに対して何の疑問も抱かず取り組もうとする方もする方である。

 

学生1「私は目標を立てることが一番だと思います。個人的に、目標を立てないと動けない性格なので」

え、あなた個人にとっての重要度を話し合う場だったのですか、ここは。まあ確かに一般人にとっての重要度を話し合え、とは言われてなかったから間違いとは言えないけど、各々の個人的見解をぶつけあっていたらそれはコンセンサスどころの話はなくなるでしょう。

 

学生2「同感ですよ~、ちなみに私は、勘とセンスの重要度は最も低いと思いますね、だって勘とセンスがあっても動きだせるとは限りませんし」

え、「学習観における重要度」っていうのは動きだせるか否かで決まるものだったんですか、知りませんでした。まあこれも確かに、「学習観における重要度」という言葉の定義づけがされていなかったから間違いとは言えないけど、言葉のイメージ的に「動きだせるか否か」っていうのはあてはまらなくないですかね...

 

学生3「僕は問題数を多く解くことが大事だと思いますね、やはり良い成績をとる上では.....」

はい、完全に議論崩壊。この人にとっての「学習観における重要度」というのはよい成績をとれるか否か、って話なんですね。定義からして完全に食い違っているのでこれ以上の話し合いは時間の無駄でしかないな、って思いました。まあ職務ですから参加せざるを得なかったわけですが。

 

学生3「あなたはどう思いますか?」

ぼく「すみません、話し合う上での前提条件が足りてなくないですか?そもそも、学習観の重要度って何ですか?動き出すことですか?理解度を高めることですか?成績を上げることですか?科目は?教える人の立場で考えるんですか?生徒の立場で考えるんですか?................うんたらかんたら..................」

学生1,2,3「まあまあ落ち着いて、そういうの全部ひっくるめて、学習、ってことにしましょうよ」

ぼく「はぁ...(死んでくれ)」

ぼく「でも、先ほど学生1さんは個人的には目標立てないと動き出せない、っておっしゃっていましたけど、僕個人的には、目標を考えること自体が面倒なので何も考えずにとっとと取り掛かった方が上手くいく性格なんですよ、そこらへん人によって異なると思うので....」

学生1「そうですね~、みんな違ってみんないいと思いますよ~」

ぼく「はぁ.....(うるせーよお前の価値観なんて聞いてないんだよ)」

 

 

 

まあでも、いちいち人の上げ足ばかり取るような人にはなりたくないけれども、これから社会人として物事の解決などに向けて真面目な議論をする上では、意味のある議論を心がけることも必要なのではないかな、と思います。